葛飾北斎筆『諸国瀧廻り』錦絵大判八枚組
(かつしか ほくさい しょこくたきめぐり)

技法:手摺木版画
画寸法:約39 × 26.5cm
監修:アダチ伝統木版画技術保存財団
制作:アダチ版画研究所
用紙:越前生漉奉書
別冊解説書付(解説:楢崎宗重)
特製収納帙入
木版画8枚入り・専用木製額1点付 
税込セット価格 113,142円(送料込)

 

別売追加専用額(外寸55x40cm) 税込10,800円(送料込)

1.和州吉野義経馬洗滝
わしゅうよしのよしつねうまあらいのたき
大和(現奈良県)吉野
2.東都葵ケ岡の滝
とうとあおいがおかのたき
現在の虎ノ門近辺
3.相州大山ろうべんの滝
そうしゅうおおやまろうべんのたき
神奈川県大山にある良弁の滝
4.美濃国養老の滝
みのこくようろうのたき
美濃(現岐阜県)養老の滝
5.下野黒髪山きりふりの滝
しもつけくろかみやまきりふるのたき
下野(現栃木県)の男体山(別名黒髪山)霧降の滝 
6.木曾海道小野ノ瀑布
きそかいどうおののばくふ
長野県上松町小野にある滝 
7.木曽路ノ奥阿弥陀ケ滝
きそじのおくあみだがたき
岐阜県群上市にある滝
8.東海道坂ノ下清滝くわんおん
とうかいどうさかのしたきよたきかんのん
三重県鈴鹿峠近くにある坂の下清滝観音 
北斎 日本が生んだ世界の巨匠
 1999年アメリカの雑誌『LIFE』の「この1000年間に偉大な業績をあげた100人」に日本人としてただ一人選出された「葛飾北斎」。
 北斎の偉大な画業のなかでも、もっとも輝いていたのが「為一(いいつ)」と号を改めた文政三年(1820)から天保四年(1833)のいわゆる「為一期」。そのなかでも天保のはじめごろ(1830-1834)に『冨嶽三十六景』をはじめとした北斎を代表する錦絵(多色刷り浮世絵)の揃物の傑作を次々と生み出しました。
 諸国の名瀑を八図すべて異なる水の描法で表現して見せた『諸国滝廻り』。橋の構造や奇抜さに注目し、さまざまな角度で諸国の橋を描いた『諸国名橋奇覧』。いずれも『冨嶽三十六景』と相前後して描かれ出版された傑作として知られています。この三シリーズ物に共通するのが版元の永寿堂・西村屋与八。当時の有力地本問屋で、『冨嶽三十六景』制作を企画したとも言われています。ともあれ永寿堂とのコンビで北斎は浮世絵版画史上に残る名作群を生み出しました。

日本が誇る浮世絵版画の伝統を現代につたえるアダチ版画の復刻木版画

《この復刻浮世絵木版画の特長》
(一)現存する作品の中から、より初版に近い作品をもとに、彫師がオリジナルに忠実に色ごとに分けた版を彫り上げます。繊細な神経と高度な“技”が要求される作業です。版木は桜の古木が使用されています。
(二)色別に彫りあがった版木で、摺師は一色一色丹念に摺りこんでいく作業で、忍耐力と色彩感覚が要求されます。絵の具も江戸時代に使用されたものと同様の「本藍」「石黄」「弁柄」など天然顔料を用いています。
(三)版画用紙は岩野市兵衛氏(人間国宝)による手漉きの越前生漉奉書を使用。以上のような行程、内容で制作される浮世絵復刻版は他の印刷では表現できない、しっとりとした温もりのある独特の世界を醸し出し、二〇〇年前の作品が甦ります。

「財団法人アダチ伝統木版画技術保存財団」について
先人が懸命に生み育ててきた“伝統木版画”の技術がいままさに消えようとしている今日、伝統木版画の制作技術に係る、後継者(彫師、摺師、版元等)の育成、支援を始め技術保存、研究等の奨励を行い、広く一般の普及啓蒙を図り、わが国の美術文化の発展に寄与することを目的に平成6年財団法人として文化庁より許可を受け活動を開始しました。

葛飾北斎 略年譜
宝暦10年 (1760) 江戸本所割下水(葛飾郡)で生まれる。幼名・時太郎。
安永 3年 (1774) 彫師の弟子となる。
安永 7年 (1778) 勝川春章に入門。
安永 8年 (1779) 勝川春朗と号し、細判役者絵を描く。
寛政 6年 (1794) 勝川家から破門か? 堤等琳に学ぶ。
寛政 7年 (1795) 二代目俵屋宗理を襲名。狂歌絵本や一枚摺り木版画を多く制作。
寛政 9年 (1797) 北斎宗理と号し、宗理型美人画を普及。
寛政10年 (1798) 宗理の号を門人に譲り、北斎辰政と号す。
寛政11年 (1799) 不染居と号し、「東遊(あずまあそび)」を刊行。
寛政12年 (1800) 画狂人と号す。狂歌絵本「東都名所一覧」を刊行。
文化 4年 (1807) 曲亭馬琴らの読本(長編小説)の挿絵に筆を揮う。
文化 8年 (1811) 戴人(たいと)と号す。
文化11年 (1814) 「北斎漫画」の刊行はじまる。
文政 3年 (1820) 為一(いいつ)と号す。
天保 2年 (1831) この頃「冨嶽三十六景」「諸国瀧廻り」「諸国名橋奇覧」刊行。
天保 5年 (1834) 「冨嶽百景」初編刊行。画狂老人卍の号を使用。
天保10年 (1839) 江戸本所達磨町の大災で多数の画稿を焼失。
嘉永 2年 (1849) 四月一八日浅草聖天町遍照院境内の仮寓で没す。
法名は南聰院奇誉北斎居士。

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