風も 光も 影さえもモネの色彩となる…
パリ・オルセー美術館所蔵
MONET モネ「パラソルの婦人」
 - リトグラフ・限定300部 -

初夏の甘くさわやかな情景を郷愁と共に描いた
 オルセー美術館所蔵の至宝
  リトグラフ独特のマティエールが名作に新たな命を吹き込む

 2007年美術界のトップニュースとなった東京・六本木の国立新美術館開館。そのこけら落としとして71万人もの入場者数を集めたのがモネ大回顧展でした。この記念すべき企画に世界中の美術館からモネの名作が一同に集結、なかでもポスターにも採用された《パラソルの婦人》には長い行列が出来ました。
 陽光ふりそそぐ川沿いの土手に立つパラソルを持った女性。風にたなびくスカーフと青空を流れるちぎれ雲。自然の光の生み出す瞬間を巧みにとらえたモネの傑作です。
 この作品が描かれたのは1886年の初夏。3年前に移り住んだジヴェルニー近くのセーヌに浮かぶ中州オルティエ島の土手で、モデルは継娘シュザンヌ。7年前に妻カミーユを亡くしたモネを支え続け、後に妻となるアリスの娘で、モネのお気に入りでした。このおよそ10年前にモネは同様のアングルでカミーユを描いています。亡き妻への思い出も込められているのでしょう。この作品を最後に、モネはほとんど人物像を描かなくなります。モネにとって《パラソルの婦人》は、新たな人生へと踏み出した記念碑的作品となり、その後《ポプラ》《積みわら》そして《睡蓮》の連作へと向かったのです。 

※モネ展では「日傘の女性」の題で紹介されました。また小学館の画集「モネ」などでは直訳の「戸外の人物試作(右向き)」と題されています。  

追記:パリ・オルセー美術館改装にともない開催されたオルセー美術館展2010「ポスト印象派」('10年5月26日-8月16日)でも出品されています。

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 パリ・オルセー美術館所蔵の名画《パラソルの婦人》のリトグラフ制作をおこなったのは、パリの老舗アール・リト工房です。クロミスト(製版師)はモネ作品のリトグラフ制作において高い評判を得ているバーバラ・ゼミオウスカ。彼女の長い経験にもとづいた卓越の技によって、細やかな筆のタッチ、柔らかなトーンの色彩など、モネの特徴を忠実にとらえています。モネの名作の再現するために20版20色という複雑な工程で刷り重ねられ、満足のいく仕上がりが得られた作品のみにバーバラ女史の直筆で署名と限定番号が入れられます。  
制作中のアールリト工房

モネ「パラソルの女性」

【仕様・体裁】
制作技法:リトグラフ
制  作:アールリト工房(フランス・パリ)
     バーバラ・ゼミオウスカ(製版者)
刷度数 :20版20色
用  紙:BFKリーブ紙
制作数 :限定300部
     画面右下余白にバーバラ女史直筆署名、
     左下余白に限定番号入り
画寸法 :67x45cm
額寸法 :93x69.5cm
原  画:"Essai de figure en plein air:
      Femme a l'ombrelle tournee vers la droite"
     1886年作 油彩 キャンバス 131x88cm
 
     オルセー美術館蔵
※お届けまで約10日間頂戴致します。
176,000円(税込)

  
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署名・番号を記入するクロミストの
バーバラ女史
サイン(上)と限定番号(下)
モネの他の作品はこちらから
クロード・モネ Claude Monet 略年譜
1840年 パリに生まれる。
1845年 この頃ル・アーブルに移る
1856年 オシャールにデッサンを学ぶ。
1858年 ブーダンのすすめにより戸外における制作を始める。
1859年 アカデミー・シュイスに学び、セザンヌ、ピサロに会う。
1862年 シャルル・グレールのアトリエでルノワール、シスレー、バジールに会う。
1865年 サロンに風景画2点を出品、「セーヌ河口・オンフルール」等が入選。
1866年 「カミーユ、緑の衣装」をサロンに出品、好評を得る。
1869年 ルノワールとサン・ミシェルに住み、「ラ・グルヌイエール」を制作。
1870年 カミーユと結婚。
1871年 オランダ旅行中に日本の版画を買う。
1874年 第1回印象派展に「印象・日の出」「ひなげし」他12点を出品。
     印象派の語源となる。以後、76、77、79、82年に出品。
1879年 妻カミーユ死去。
1883年 パリ郊外のジヴェルニーに移り、没するまでここに住む。
1886年 
《パラソルの女性》制作。
1889年 プチイ画席でロダンと合同展を開催し好評を得る。
1890年 「ポプラ」、「積みわら」の連作開始。
1892年 アリスと正式に結婚。「ルーアンの大聖堂」の連作開始。
1899年 庭の睡蓮を描き始める。「睡蓮の池 緑のシンフォニー」制作。
1914年 現存作家としてはじめてルーブル美術館に作品を収める。
1916年 オランジュリーの「睡蓮」の壁画連作に着手。
1921年 デュラン・リュエル画廊で回顧展。
     「睡蓮」の壁画を国家に寄贈。
1926年 ジヴェルニーで死去。満86歳。   

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