天目茶碗誕生の地、福建省建窯で天目の復元を目指す
陶匠・孫建興師が再現した「油滴天目茶碗」
曜変天目と並び称される天目茶碗の逸品をご紹介いたします
はじめに
 はるか昔に中国で生まれ、日本に渡ってきた天目茶碗。中でももっとも美しいとされるのが、静嘉堂文庫美術館所蔵の曜変天目茶碗(国宝)です。漆黒の釉薬に星の輝きのように妖しく浮かび上がる窯変の文様に魅了され、これまで数多くの陶芸家が復元を試みてきました。そしてその復元に成功したのが美濃の陶芸家・林恭助さんです。初のお披露目となった2002年日本橋三越での個展で実物を拝見しましたが、腰が抜けそうになるほど実に見事なものでした。
 そして今年(2007年)の春、林恭助さんの曜変天目茶碗がそのふるさと中国で発表されました。北京の中国美術館で開催された展覧会には中国内の多くの陶芸関連者が訪れ大絶賛だったとのことです。
 
 
天目(てんもく)茶碗は、今からおよそ八百年前、鎌倉時代に、中国(当時は宋の時代)浙江省の天目山の禅寺に修行した僧侶によって我が国にわたってきたもので、そこから「天目」の名がうまれました。実際には現在の福建省建陽市あたりで作られたものだと分かっています。
 天目茶碗は、鉄分を多く含んだ黒い釉薬(黒釉)を使った茶碗で、天目形
(てんもくなり)という形状に特徴があります。黒釉の表面は無地であることがほとんどですが、時に、焼成中の窯変(ようへん)によって、大変に美しい文様が現れることがあります。その文様によって、油滴(ゆてき)、曜変(耀変、燿変とも)、禾目などと呼ばれる天目茶碗があり、大変珍重されています。
 これらの天目茶碗の制作は困難を極め、土と黒釉の成分、焼成温度と時間など、それぞれがある一定の奇跡的な条件を満たしたときのみ、偶然にも、見事な窯変が得られるのです。

 孫建興先生が復元した「油滴天目茶碗」もそのひとつで、水面に油の滴(しずく)を落としたような文様(上の円中写真)があることから、そう呼ばれています。そして、現在の日本の国宝に指定されている5点の天目茶碗のうち、4点までが中国・建窯の作といわれています。
 建窯
(けんよう)は、現在の福建省建陽市を中心とした窯跡で、1935年アメリカの調査団の発掘によって、昔ここで油滴や曜変天目が焼かれていたことが明らかになりました。
 建窯では、唐の末頃には青磁を焼いていたようですが、中国の陶芸史に現れるのは、政変により都が南に移ってきた南宋(1127-1279年)頃のごく短い期間だけだったようです。その時期に、油滴や曜変といった天目の最高傑作が作られていたのです。現存する天目茶碗の逸品が、青磁や白磁のそれに比べて稀少なのは、製法の困難さもさることながら、そういった建窯の歴史も大きな要因となっています。その後、建窯は窯場としての賑わいをなくし、天目茶碗そのものも中国の歴史から忘れ去られようとしていました。
 近年、建窯の発掘、研究がさらに進み、現在では、天目の復元も意欲的に進められています。鎌倉時代、中国から渡ってきた天目茶碗は、我が国の陶芸界に大きな影響を与え、瀬戸天目や黒唐津といった陶磁器も生まれました。そして冒頭の林恭助氏による復元です。

 そして、このたび和美三昧でご紹介するのが、孫建興先生が長年の研究のもと作り上げた「油滴天目茶碗」です。天目茶碗の故郷・建窯で、同じ土、釉薬で作られた、まさしく本物と呼ぶにふさわしい逸品です。  

茶碗高台部(孫建興の「興」の字の刻銘)
画像をクリックすると拡大します。
孫建興・作「油滴天目茶碗」

 高さ7x径12.5cm
 純銀覆輪、桐箱付

 
※一点ごとに窯変の仕方が異なります。 
 
好みの窯変をお選び頂けますので、ご相談下さい。
 売約済

孫建興 Sun JianXing

1952年中国福建省に生まれた孫建興(そん・けんこう)先生は、30年にわたり天目茶碗の復元に取り組み、中国内外の陶磁器関係の学会で研究の成果を発表。中国国家から科学技術認定証を授与されました。現在その作品は中国の国賓への贈物として献上されています。


孫建興先生のメッセージ

 1972年、私が福建省の建陽にある磁器工場で成分分析の研究員をしているとき、日本の研究家から日本で発見された焼き物の分析と復元を頼まれました。
 その焼き物こそが天目だったのです。その付近の窯跡からたくさん出土していた破片と同じ物で、また、天目の制作にまつわる民話も多く、よく聞かされていたので、大変親密さを感じました。
 私がこの土地に生まれ、この焼き物に出会ったことは、やはり運命だったのでしょう。
 千変万化に表情を変える釉の文様に強く惹かれ、研究を始めました。
 1979年には、国家から正式に、建窯の窯跡の研究を委託され、本格的に復元を開始したのです。
 当時は、何人か天目の研究に携わる作家がいましたが、中国国内では需要が少ないので、皆工業用セラミックの製造などに転向していき、現在ではほんの僅かな人が天目を研究しているに過ぎません。
 しかし、我々の研究のことを聞いて、韓国、台湾、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそして日本から陶芸研究家の方が来るようになりました。
 そうした多くの人たちの温かい応援に励まされながら、研究を続けることが出来ました。
 そしてこのたび、私の研究の成果が日本で紹介されることとなり大変うれしく感激しております。 

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