“ひまわり”こそゴッホが南仏アルルで見つけた理想郷そのものだった 
ヴァン・ゴッホ「ひまわり」
複製リトグラフ 限定300部


炎の画家ヴァン・ゴッホの光り輝く不朽の名作

「ひまわり」の連作のなかでも最高傑作の呼び声高い

独ノイエ・ピナコテーク所蔵の「12本のひまわり」
(原邦題)

パリの老舗工房アール・リトが贈る傑作リトグラフ 



ゴッホ永遠の名作「ひまわり」
 
炎の画家ゴッホの傑作といえば、まず「ひまわり」を思い浮かべます。
ゴッホは晩年、理想郷として南仏アルルに移り住みます。憧れの日本はこんな所に違いない。そう信じたゴッホは新天地のアトリエを南仏の太陽のような「ひまわり」の絵で飾ろうとしました。ゴッホはそのアルルで7枚の「ひまわり」を描きます。独ミュンヘンの美術館ノイエ・ピナコテークに残る「ひまわり(原題は“花瓶と12本のひまわり”)」は、その中でも、もっともはじめに描かれたもので、最高傑作と言われています。
 
膨大な書簡で知られる弟テオへの手紙にもこの作品を描いているゴッホの興奮と充実感が鮮明に書かれています。

“僕が大きな向日葵の絵を描いていることを知っても君は驚かないかも知れないけど、マルセイユの人々がブイヤベースを食べている時みたいに、僕は描くことに熱中してるんだ。…今、3枚の向日葵の絵を描いているところだけれど、その中でも12本のひまわりと花瓶を描いた30号のは、明るい色の上に明るい色を重ねて、きっと最高のものになるはずだ。"
(書簡526.より 1888年8月21日(推定))
 
この不朽の名作を、パリの老舗版画工房アール・リトのチーフ・クロミスト(版画制作者)である名匠ステファン・ギルボー師の手により貴重で表現力豊かなリトグラフとして制作しました。
    

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ヴァン・ゴッホ「ひまわり」 
複製リトグラフ 限定300部

画寸法:59x46cm
額寸法:85.5x71.5cm

版 数:20版20色
版画制作:アール・リト工房(フランス)
クロミスト:ステファン・ギルボー
Stephane GUILBAUD
原 画:「花瓶と12本のひまわり」91x71cm 油彩 
    1888年8月制作
    ノイエ・ピナコテーク(独ミュンヘン)所蔵
198,000円
(税込)

  

※作品画面左下にアール・リト工房のエンボス(工房印)と限定番号、右下にクロミスト(版画制作者)ステファン・ギルボー氏の直筆サインが入っています。 
炎の画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ  Vincent Von GOGH (1853-1890)

1853年オランダのフロート・ズンデルトに牧師の子として生まれる。画商の店員、教師などを経て聖職者を志望するが果たせず、1880年、27歳の年に画家を志す。

その後の数年は初期の代表作『馬鈴薯を食べる人々』(1885)をはじめとした暗い色調の作品が占める。1886-88年にかけてパリの印象派の画家たちと交流をもち、印象派や日本の浮世絵の影響を受け、色調も明るいものへと変わっていく。

1888年には南仏アルルに行き『夜のカフェテラス』や『ひまわり』の連作などの傑作を制作、ゴッホ芸術の開花した年となる。同年末にはゴーギャンとのアルルでの共同生活が破綻をむかえ、自分の左耳を切り落とすという事件を起こし、その後精神病院への入退院を繰り返すようになる。しかし制作への情熱と純度はさらに増し、傑作を次々と生むことになる。1890年ブリュッセルの20人展に出品した1点が、生前では唯一売れた作品となる。

同年7月ピストル自殺を図り2日後に死去。オランダ・オッテルローのクレラー=ミュラー美術館、アムステルダムのゴッホ美術館に多くの作品がある。弟テオへあてた膨大な量の書簡は有名。
 

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