歌川広重 筆「六十余州名所図会」 全七十図完全復刻 限定120部 浮世絵版画界の大巨匠となったからこそ実現した 当時最高の版元、彫師、摺師による贅沢な木版画 歌川広重の最高傑作「六十余州名所図会」 「東海道五十三次」で世界的に知られる浮世絵師・歌川広重(1797-1858)。「名所絵の広重」と呼ばれ、その生涯に数多くの浮世絵版画の傑作を残しました。 今回ご紹介する「六十余州名所図会」は、広重晩年の揃い物で、日本全国六十余すべての州をくまなく描いた全七十図(目録含む)の大作です。特に注目すべきなのは、広重の自由闊達なアイデアの絵を版画として実現するために、当時のトップクラスの版元、彫師、摺師が結集した事です。毛のように細い線彫りや見事なグラデーションを浮かび上がらせる摺りの絶技、などなど絵師の力量を最大限に引き出した職人の仕事を存分に堪能する事が出来る事です。 このたび当社では自ら版元となり、この「六十余州名所図会」全七十図を完全復刻し頒布致します。木版画の制作では、代々技術を継承してきた浮世絵木版画の彫り師、摺り師が新たに版木を彫り、一図一図摺り上げた貴重な版画作品です。 このページでは知られざる名作「六十余州名所図会」の見所と魅力を、図版の説明とともにご紹介いたします。 |
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1番 山城 あらし山 渡月橋 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ろくじゅうよ・しゅう 【六十余州】 もと日本全国の称。すなわち畿内七道の六六カ国に壱岐・対馬を合わせた国々 (広辞苑より) ※地図中の地名をクリックすると図解のページへ移動します。 |
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《六十余州名所図会全絵柄》 ※絵もしくはタイトルをクリックすると図解のページへ移動します | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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[歌川広重・筆 六十余州名所図会]
[仕様・体裁] ※完売となりました。ありがとうございました。 |
この浮世絵木版画の特徴 ◆日本浮世絵博物館所蔵(酒井コレクション)の現存する最良の初版画を原(もと)とした。 ◆初版画を忠実に表現するため一点ずつ細部にわたり検照し、特に描線の曲折起伏などを写真で拡大し、原画の微妙な特徴を見落とすことの無いよう詳細に確認しながら彫り進めた。 ◆絵具は江戸期に使われた「弁柄」「丹」「雌黄」「藍」などを研究調合して使用、完璧な色彩の再現を期した。 ◆初版摺りにあくまで忠実にという制作意図から、不必要な古色等の加彩を避け、初版時と同質の仕上がりとした。 ◆版画紙は原画と同様の特漉きの越前奉書紙を使用した。 |
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目録 下題 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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《一枚の浮世絵版画》 1枚の浮世絵版画はだいたい5枚の版木が使われています。版木には桜の古木が堅さや伸縮のなさが適しています。古い家が解体される時などに、稀に良質な桜が入手できると彫師さんに聞いたことがあります。 絵画の表現力というのを考えると、たくさんの版木を用いて、摺り度数が多い方が優れていると思いがちです。江戸時代、浮世絵版画は庶民の人気を集めましたが、収入を考えると贅沢品でもありました。財政が苦しいのはいつの世でも同じこと。時の為政者によって浮世絵版画もさまざまな制約を受けることになります。倹約令は一枚の版画に用いてよい板の枚数を制限しました。 限られた条件の中でいかに魅力ある作品を作るか、そこに絵師、彫師、摺師そして版元の情熱が注がれ、数々の傑作版画が誕生しました。 「六十余州名所図会」にはその精華とも言える浮世絵木版画の真髄が凝縮されています。 |
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当社保管庫の版木です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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《版木と見比べてみる》 「六十余州名所図会」27番「下野 日光山 裏見ノ瀧」を版木とともに見てみます。 |
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左が完成。 下野国はいまの栃木県全域。当時すでに「裏見滝」「荒沢滝」と呼ばれ、滝の裏側を通ることが出来ると評判であったところ。豪壮たる大滝が迫力いっぱいに描かれ、滝裏を通る旅人も細やかに表現されています。 「下野 日光山 裏見ノ瀧」の版木。6枚の版木が使われています。もちろん両面使います。(写真右) |
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右が「墨版(すみはん)」。全図の輪郭(描線)、タイトルなどいちばん重要な情報がこの版にあります。(写真右) 滝の裏側から見る旅人の表情も豊か(下) |
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滝のしぶきの描線も「墨版」(すみはん)かと思っていたのですが、別版で藍色に摺ったのですね。滝の上方の右へ左へと流れる小滝も細かく描かれる。(写真右)
山肌を落ちる水の流れは別の色(摺り)だが同じ版上に彫られている。(左写真の右部分) また、画題部の下色となっている桃色も同じ版上(同左上部分)に作られる。 このように一枚の板を何カ所にも分けることも出来ます。そのため、5枚の板でも、裏表を利用しながら17版21色といった多彩な表現が生まれるのです。 |
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大滝を落ちる水の色はこの板で摺られます。水色は滝部分全体を使い、藍色のグラデーションは、滝の右側からだんだん薄くボカすという摺り師の絶技の見せ所でもあります。(写真左、上) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この版の上部と下部では、霞を表現しています。一番上の端は一文字の藍ボカシで、ほとんどの浮世絵で採用されているポピュラーな表現法です。上からたれ込めてくる靄の下端を赤、下から湧き出してくる霧が紫でともにボカシの摺りが楽しめます。
版木の眼のように見える版面中央の山は、作品中の旅人の着物ですね。 桜の木目はそのまま模様として版画に摺られます。ほんとうに木版画ならではの味わいです。 |
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歌川広重 略年譜 1797 寛政九年 江戸八代洲河岸に生まれる。 1811 文化八年 歌川豊広の門に入る。 1812 文化九年 歌川の姓をゆるされ広重の名をもらう。 1818 文政一年 この頃役者絵を主に描く。 1825 文政八年 この頃から「近江八景」など風景画を描く。 1830 天保一年 一幽斎を名乗り風景画に専念する。 1831 天保二年 一幽斎がき「東都名所」が出る。 1832 天保三年 一立斎と改む。幕府八朔御馬献上行列に加わり京都に行く。 1834 天保五年 「東海道五十三次」完成。大評判をよぶ。 1838 天保九年 「木曾街道六十九次」に参加、七十枚中四十六枚を描く。 1841 天保十二年 甲州に旅する。「立斎」を用いる。 1842 天保十三年 「甲陽猿橋の図」「行書東海道」「狂歌入東海道」など。 1843 天保十四年 「東都名所」完成す。 1849 嘉永二年 「隷書東海道」 1853 嘉永五年 「不二三十六景」 1854 嘉永六年 「六十余州名所図会」はじまる。 1856 安政三年 「六十余州名所図会」完成。「名所江戸百景」はじまる。 1857 安政四年 「雪月花」「阿波鳴門之風景」 1858 安政五年 九月六日歿。 辞世 "東路に筆を残して旅の空 西の御国の名所を見む" |
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